interview

私、音楽がないと死んじゃうんです。

<シンガー・ソングライター&リスナー>sioriの異常な「純情」に酔え!

陽の光はプリズムを通すと7色に分光するが、それが全て溶け込むと「金色」に映る。そんな「天然な多彩さ」をタイトルに冠しているだけあって、彼女のデビュー・アルバム『金色 kin-iro』は心地好い音楽のバリエーションに溢れている。いまどき珍しいハイセンスな生音が織りなすサウンドと、ぐっと染み入る「乾いた情緒性」が溢れる個性的なヴォーカル――まるで70年代洋楽のようでもあり、日本人ならではの「うたごころ」でもある。彼女が決して単なる音楽ヲタクやマニアではない、「プロ」のリスナーだからこそ生み出せるセンシティヴな歌たちは、まるで大量生産の規格商品のようなJポップが蔓延する現在のシーンには本当、「ありがたい」存在なのだ。それにしても、sioriの「常軌を逸した」音楽への純情は凄い。自らの半生をも劇的に振り回してきたほどなのだから、面白すぎる。ま、それだけに彼女を信じられるのであるが。驚け。

市川哲史(音楽評論家)

とりあえずCD買ったらヘッドホンで聴きます

――なんか10代の頃からヘヴィー・リスナーだったそうで。
 もう「聴く」専門でしたから。学校が渋谷にあって――放課後、普通は友だちとどっかに行ったりするんでしょうけど、ほとんどCDショップに1人でいた、みたいな(嬉笑)。
――友だちいないのかい。
 そんなことないですないです! なんか音楽を聴いていると、自分らしくいられるというか。そういう意味では癒されていたし。音楽がなくても生きていける人は沢山いると思うけど、私は生きてる証しが得られる気がして。
――おおー。リスナーの鑑ですねぇ。
 アーティストはたぶん余計なことを考えないで、表現してると思うんですよ。でもメロディや言葉と共に波動を受け取った時に……自分に問いかけられてる感じがするというか。他人の表現を聴いてるはずなのに、自分を向き合わされてるような、自分のことのような気がして。そこが、凄く好きなんですよねー。
――音楽として発信される時はその人個人のものなのに、聴く者が勝手に「私と一緒!」「これは私の世界そのもの!」と思えるのが音楽で。こっちの誤解や妄想や思い込みを、全て引き受けてくれるというね。
 あははは。わかります。だから不思議ですよね、各々の思い込みの中で進んでるんだけど、でも一つになる瞬間もあったりして。その自由さがいいんでしょうね、音楽って。「こうだよ」って言われないというか、自分が自由に想像して「この曲で泣きたい」と思ったら泣けたりもするし。自分の感情をぶつける場でもあり、共感できる場でもあり、それが音楽のよさで。
――自分を確認する触媒でもあるし。そもそもいつ頃から、音楽大好きになったんですか。
 元々、自分が育った環境に音楽が溢れていたというのもありますね。小学生で普通に、外タレの来日にいつも連れてってもらったり。(ローリング・)ストーンズとかマイケル・ジャクソンとか(エリック・)クラプトンとか。当時はわかんないから何も考えずに観てたんですけど、音が鳴った瞬間に鳥肌が立ってたりとか、その感覚がずっと身体の中に残っていて。「なんかわかんないけど、音楽って凄いものなんだ!」と漠然と。
――本能的に察知してたと。
 理屈じゃないんでしょうね。その後は、1人で行ってます。人と行ってもいいんですけど、基本的に自分の世界に入ってるんで、関係ないという(苦笑)。
――わははは。音楽と対峙する時は、「1対1」が基本ですかね。
 基本的にパーソナルでいいと思うんです、音楽って。だから、とりあえずCD買ってきたらヘッドホンで聴くし(笑)。
――それは正しい! 我々世代は皆そうでした、かつて。
 CDショップ行ってちょっといいCD買えたと思ったら、その帰りに家電ショップに寄って、新しめのヘッドホン探して聴き較べてみたりとか。あははは。
――だははは。でも本当、音楽のいい聴き方してると思いますよ。ジャンルや偏見も一切、なさそうだし。
 カテゴライズとかジャンル分けとか、好きじゃないんです。あれで音楽の可能性が狭まった気がするんですよ。MTVの登場も、映像が出ちゃうからイメージする愉しさが失くなっちゃったと思うし。「自分で聴いて、いいと思えばいいんじゃない?」というのが基本なんで。
――そういえば、PVやジャケ写に自分が登場することすら拒んでた、という話を聞きました。
 んー……そうですね(失笑)。曲のイメージを限定しちゃうし……こっ恥ずかしいし。
――唄と詞曲だけで勘弁してくれよ、みたいな。
 あははは! そうですね。

「君は立派な変態なんだよ」とお墨付きをもらいました(笑)

――さて、リスナーとして音楽に恐ろしく純粋に付き合ってきたあなたが、「作る側/唄う側」に立つことになったのは、なぜなんでしょう。
 自分を何か表現したいというのはあったんですけど、音楽はあくまでも趣味で……「自分が音楽をやる」という発想がなかったんですよね。聴く専門。客観的に大変そうだと思ったし、あと人前に出るのが得意じゃなかったんで。それに「自分大好きー♥」って人でもないし(苦笑)。
――頑なですなぁ。
 私は自分らしくいたかったり、癒されたかったり、自分を確認するために聴いていたので。もうアホみたいにただひたすら、聴いてただけなんです。絵は描いてたんですけど、周りからは「ちょっと怖いよねー、しーちゃんの絵」と(失笑)。かなりグロい絵だったので。といっても、頭に浮かぶもの、見えてるものを描く想像画なんだけど、傍から見ると「ん?」みたいな。
――でもその絵の道を目指そう、と。
最初は芸大受験しようと思って、高校3年間ずっとデッサンばかりやってたんですけど、結局絵のセミナーに行っても皆同じ絵を描いてる光景自体、もう耐えられなくて。
――確かに不毛で気色悪い景色ですな。
 そうそうそう。それで親に「ちょっと違う気がする」と相談したら、「日本より外国に行った方が、あんたは受け容れやすいかもね」ということで、イギリスに留学するんですよ。
――親御さんもシンプルなご発想で。
 あはは。17歳で最初行ったのが、ブライトンより南のイーストボーンにあるセブン・シスターズ――スティングが出てた映画『さらば青春の光』の舞台になった崖の近くにホームステイしました。おばあちゃん1人しかいないような田舎の家で、毎日その崖でデッサンしたり。その行き帰りの途中に、変な柄の牧草地が沢山あって、「暇な人がいるなー」と思ってたら……ミステリー・サークル! ちょっとスピリチュアルなエリアだったみたいで(苦笑)。
――だははは。
 で高校卒業して、ファイン・アートのいい学校があると聞いて、ブライトンに。
――ブライトン! おもいっきりUKロックのメッカじゃないスか。君にとって、その選択はかなり誤ってるのではないかと。
 そうなんですよ! ロックにテクノにハウスに――音楽の街じゃないですか(嬉笑)。案の定、音楽漬けになってしまい、グラストンベリーのフェスにも1人で行けるし、毎週末クラブに行けばケミカルが皿回してたりプロジディーがいたりするし。自分が愉しいものがいっぱいある街だから、「それがインスピレーションになって、絵も描けるなー」と思ってたのが――。
――その後の展開が、容易に想像できます。
 美術学校行ったら皆、絵も音楽も両方やってる人が多くて。専攻したらそれしかやらないような日本の芸大とは違う、「一通り好きなことやってみなさい」というノンカテゴリーさに、カルチャーショックを受けて。「え、音楽やっていいんだ?」みたいな。

――そもそもビートルズ以来、英国ロックの先達は誰も彼もアート・スクール出身だったりするからね。まさに「ポップの巣窟」というか。
 ヒューマン・ズーですよねー(笑)。大体、アート自体が自由で無茶苦茶なものなんだから、それをちゃんとさせようとすること自体に無理がありますよね? そこから音楽も絵も、自分の中で一緒になった。自分を表現するツールとして。周りの人にも、「そんなに音楽が好きなんだったら、自分でやればいいじゃん」と言われ、「あ、そういう発想があったか」と。
――君の場合、それまでリスナーとしてあまりにも音楽を純粋にリスペクトしてたから、「そんな私なんぞが音楽を作るなんて、おそれおおい!」的な畏敬の念を抱えてたのかもね。
 そうなんですよね、「ちゃんと勉強しないと作れないもの」と思ってて。あと今思えば、私の(日本での)学校はエスカレーター式だったから、友だちからは「なんで高校で卒業しちゃうの、もったいない」と言われてて。でも私は、「いい大学出ていい会社入って」みたいな人生に乗っかるのが嫌で、「もっといろんな生き方があっていいじゃん」と思ってたから、学校でも浮いてたんだと思う。
――そんな違和感が、ストレンジでファニーで自由なアート・スクールにおいて「それでいいのよ」とお墨付きをもらっちゃった日にゃね。
 「君は立派な変態なんだよ」という(笑)。結局、頑張って合わせてたんでしょうね、「普通でいよう」みたいな。やっぱり自分の全てを吐き出して、それに反応して何か感じてくれた人がいた時に初めて、「自分にしかできないものがあるかもしれない」と思えて。そっからはもう、周りが見えなかった。集中しました、愉しくて。
――じゃあそこで曲作りかなんかを始め。
 ブライトンに、レディオヘッドのベースの人(=コリン・グリーンウッド)が住んでたんですよ。たまたま友だちになって、「作んなよ」と言ってくれて。私は楽器ができなかったんで、とりあえずラララで入れたら「じゃ知り合いのベースを呼んであげるよ」――そこでデモテープらしきものを初めて作ったら、「あれ、結構形になったじゃん」みたいな(苦笑)。
――わはははは。
 できたからにはやっぱり聴いてほしいじゃないですか、人に。で、「なんかいいんじゃない?」って話になって、そっからもう絵ではなく音楽に。その中で自分の気持ちを言葉にし始めたら、それが愉しくなっちゃって。親にもFAXしまくりました、「こんなのやってんだけど」。
――そりゃ驚かれたでしょう。
 「あんた、いつから音楽やってんのよ」「実はあんまり学校に行ってないんだよねー」「そんなつもりで英国に出したんじゃないんだけど」みたいな(笑)。でもカセット送って聴かせたら、父親は詞を見て号泣したらしいんですけど(苦笑)。で、「何かあるかもしれないこの子」と思ってくれて、ウチの親も。

フィル・ラモーンにアポなしで逢いに行きました

――しかしよくもまあ、これだけ見事に「音楽をやる悦び」にハマったもんですなぁ。
 ですよねぇ? 元々ヒット曲や名曲が大好きなのも、自分がやったことによって人を愉しませるのが、どっかで好きだったからだと思うんですよ。
――ああ、単なる籠もり気味の音楽ヲタクではないぞと。
 そうですそうです(笑)。で、絵はそこに見に行かなきゃ見られないけど、音楽は来たら避けられないじゃないですか。それどころか、受け止めなきゃいけない。街で流れてたら聴こえちゃうし――そこも好きなんですよ、半強制的に来る感じが。
――人の部屋に土足で上がり込んでくる感じね。
 そうそうそう。嫌いじゃないんですよ、そのハプニングが。で、その一瞬で自分の人生が変わる場面もあるわけだから、それぐらい自分の想いを瞬時に伝えられたりするハイテク感が、たまらなく好きなんです。
――ま、そもそも人に聴かせない/聴かれないのなら、音楽を作る必要はないしね。
 そうなんですよねー(←しみじみ)。それで、デモが出来上がった瞬間に漠然と、「フィル・ラモーンに聴いてほしい」。


――ばはははは! 何じゃそりゃ。
 あははは! 本当、無謀ですよねー。
――その脈絡、理解できません。
 凄く好きだったんで。私、いいアルバムだと思ったらプロデューサーが誰なのか、必ず見るんですよ。最初はビリー・ジョエルの『イノセント・マン』だったんですけど、「いい仕事するなー」「名盤を生んでくれてありがとう」と。あとカーペンターズやポール・マッカートニーや、アントニオ・カルロス・ジョビンとか。「逢ってみたい♥」みたいな。
――……。
 でも、契機がないじゃないですか。ただ逢いに行ったらただのファンだと思われるけど、やっぱり自分の音楽が形になったんだから、とりあえず聴いてほしいなと。
――えーと。
 10代だったこともあって火が点いて、「思っちゃったからには動かなきゃいけない」というところで、母親に「とにかくフィル・ラモーンに逢って、聴いてほしいんだ」「とりあえず1回日本に戻って、アタマを冷やそう」となり。で戻って、1ヶ月でNYに飛んじゃったんですよ、アポなしで。「なんとかなる、向こうだって無視はしないだろう」と。
――まるで根拠のない、明るい展望ですなぁ。
 あははは。勝手な思い込みですけど、「音楽やってる」と言ったら興味を持ってくれるだろう、と思ったんですよ。だから正直、その当時は「プロになりたい」と思ってないし、「たまたま出来ちゃったから」という物凄い勝手な(失笑)。で彼がマンハッタンでランチタイム中だったのを、「エクスキューズ・ミー」みたいな。
――あのー、彼の所在をどのようにしてつきとめたんですかね。
 それはちゃんとレコード会社の人に訊いて、「今日は誰々のレコーディングで、ランチはここにいると思うから行ってみて」って。
――合法的なストーカーですなぁ。
 あははは! ちょっと軽ぅーいストーキングなんですけど(笑)。「ジャパニーズ・ガールなんだけど、あなたの仕事を凄くリスペクトしてて、自分も音楽やり始めたからちょっと聴いてくれないか」「OK」。意外とすんなり聴いてくれて、「1年後でもいいか?」っていきなり言われて。「え、プロデュースしてくれるんですか!?」「うん、アルバム作ろうよ」。
――うひょぉー。
 そっからアタマ真っ白ですよね、そんなつもりなかったから。「え、レコーディングするんだ!?」。そこで初めて私、「ちゃんとやんなきゃ」と思ったんですよ。受け容れてくれたことに対して、ちゃんと応えなきゃと。
――かなり特殊な例だけども、そこで初めてプロとしての心構えを持たざるをえなかったわけですなぁ。責任感の芽生え、というか。
 そうなんです(苦笑)。それで「ノー」と言うのはおかしいじゃないですか、やっぱり!
――当たり前です。
 「待ちます!」。それでフィルの元で1年間ぐらい――初めてちゃんと曲作りを。
――スリリングな人生双六だねぇ。
 本当、人生行き当たりばったり。計画性ゼロですね。それでボイトレとかいろんな先生をつけてくれたんですけど、実はあんまりやってなくて(苦笑)。明け方までやってるブルーノートに1人で行っちゃったりしてて。でも正直、英国の方が断然刺激があったんで、米国の音楽自体は面白くなかったですね。
――リスナー魂百までも。

音楽から離れたら、生きてるのか死んでるのかわからなくなり……

――でもそんな幸運なスタートを切りながら、そっから今回のデビューまでなぜ7年近くもの時間が経ったのかしら。 非常に不純な動機でNYに行き、1年懸けてやっと物事が動き始めた時に――テロになっちゃったんですよ。NYで初めてライヴやってソールドアウトしたし、そのライヴ自体も凄く盛り上がって。「これはイケるかもしれない、皆で西海岸に行こうぜ!」と皆で盛り上がったら、テロが起きちゃって……いきなりテンション、ガタ落ちですよね。ブレーカー落とされた感じで。全部のプロジェクトがいったん中止になったし、「これは日本に帰れってことかな」みたいな。実際、アレが起きた時に、米国っていう国自体にも疑問を抱きましたし。
――なんか君の雪崩のような人生に初めて、「水入り」の時期が訪れた感じですなぁ。
 本当にそうなんです。それまでの自分の人生無茶苦茶だし(苦笑)、「1回日本に帰って、ちょっと自分と向き合おう」と。本当に音楽をやりたいのか、ちゃんと考えずに来ちゃってたし。「やれるからやっちゃってこうなっちゃった」みたいだったんで。そういう意味ではよかったのかも。あのまま突き進んでいたらたぶん、見失ってたろうし、今書いてる曲も書けなかったろうし。
――20歳過ぎて、初期化しようと。
 全くもう本能のまま生きてたんで……「考えるより行動したい」「とりあえず自分で感じてみる」という、動物的な思考だったから。あとたまたま母親が具合悪かったりもしたし、日本に帰って来たらいろんなことが、まさに起きてて。そんな現実にブチ当たった時に、「自分って本当、好き勝手なことやってきたな」「いいのかなこれで」と思っちゃったんですよ。
――現実に一気に、揺り戻されましたか。
 そこからあんまり、音楽を愉しめなくなっちゃって。自分の中で癒されたり愉しかったりするものだったのに……なんかこう……そういう気持ちが失くなってしまって。そうすると、「ピアノを弾きたい」とか「何かをやりたい」という気持ちになれなかったんですよね。
――ネガティヴになりましたねぇ。
 ネガティヴなこと唄う人もいるけど、自分はそれをしたいとは思わないので。聴きたくないんですよ、ネガティヴな歌は(苦笑)。
――そもそもポジティヴな時にしか、ネガティヴなことは唄えないからね。終わって初めて唄えるというか、ディレイが必要だから。
 そうそう! 本当にネガティヴだったら鍵盤にも触れないし、やっぱり余裕がないと音楽自体が作れないし。
――その空虚な暗黒時代は、続くんですか。
 1回捨てましたよ、そういう意味では音楽というものを自分の中で。「なんか音楽以外のことをやってみよう」と思って、グラフィックが活かせるポスター作る会社に就職してみたりして、ひたすら音楽以外のことを――。
――君にとっては自滅行為のような。
 やっぱり身体がおかしくなってきちゃって。自分が失くなっちゃっていく感じがしたんですよ。10代まで24時間中20時間くらいヘッドホンで音楽聴いてたわけで、それが失くなった時に初めて重大さに気づいたというか。「やっぱり私は、音楽がないと生きていけないんだ」「好きなんだ!」ってわかったんですよ。
――「自分にとっての音楽」に気づくまで、どれくらいのタイムラグなんですか。
 3年……ぐらい違うことやってましたね。なんかボロボロでしたよ、傍から見たら普通の生活なんですけどスカスカで。自分の中では、生きてるんだか死んでるんだかみたいな。どうでもよくなっちゃってましたねー、うん。
――人生のサイクルが早急すぎますな。
 あはははは! 18から20歳までが濃すぎちゃって……凄いエネルギー遣ったし、フィル・ラモーンとの出逢い自体が一生分の運を使ちゃったような。夢叶いましたからねー。ぽっかり穴が空いちゃって、「なんでこんなに虚しいんだろう?」「あ、音楽がないからだ」「これは結構、深刻だぞ」と思って、まずCDショップ通いを復活させて。
――あんなに貪欲なリスナーが、聴くのすらも止めてたんだ?
 一切、音楽に触れてない時期もありました。禁断症状が出たらたまに聴いてましたけど、前みたいに漁るようには。だから音楽誌も読まず。したら、自分を曝け出せる場が失くなったから、それが息苦しかったんですよね。社会に出て合理的に考えるようになると、「音楽って必要ない」と思いがちじゃないですか。
――うん。実際にそういう傾向は大いにありますね、特に日本の場合。
 でも私はそうじゃなかったですね。「このままじゃ死ぬ」と思いましたもん、途中で。「自分が音楽やらなくても、とにかく音楽に触れてないと嫌だ」「アーティストとして出なくても、携わっていたい、聴いていよう」って。
――おお、ようやく明るい兆しが。
 ところが哀しかったのは――何年か経って久々にCDショップに行ったら、試聴しても感動する、ワーっとくる音楽がほとんどなかったんですよ! なんですかねー、自分が聴きたい音楽がなくなってきてることに、また凄くヘコんじゃって。「ええー、私の唯一のキラキラしたものだったのに、ない!ない!」「こりゃヤバいぞ」と追いつめられて行き着いたのが――「じゃあ自分で作るか」。
――やっと正しい脈絡にたどり着きましたか。
 あははは。「聴きたいものがないんだったら、自分で作るしかない」っていう。そこでしょうね、今の私の根本は。

それでも私は「リスナー」でいたいんです

――sioriの音楽を語る際にどうしても触れねばならんのは、やはり声で。この素敵なフケ声は本当久々というか、変にキラキラしてなくて心地好いんですわ。
 あははは! 声だけ聴いて皆、すっかり熟女を想像されてるみたいで(苦笑)、逢うと「意外に若い人なんですね」と言われます。
――わはは。「熟女」というよりも、乾いた情感が伝わるフラットな感じが、70年代洋楽にも通ずるんですよね。似合ってますわ。
 プロデューサーの亀田(誠治
)さんには「王道をやれる声」とか、「声に特徴がなかったら音楽は成り立たない」と言われました(照笑)。
――自分の声、好きですか?
 いや! 本当にこの声が嫌いで、ずっとコンプレックスだったんです。唄うまでは。電話に出ても声変わり前の男の子に間違えられたり、デモでも中性的と言われたり。
――そうかなぁ。
 しかも私が高校生の頃の邦楽は、小室哲哉ワールド全盛で皆カラオケで唄ってる中、私の声はそっちにいけないじゃないですか。「生まれてくる時代を間違えちゃったかな」みたいな(失笑)。すると一人、大橋純子さんとか唄っちゃうわけですよ、キーが一緒だから。
――ばははは! そりゃ斬新な女子高生だ。
 ですよねー(笑)。
――今のJポップって「不思議なR&Bスタイル」が蔓延してるんだけども――。
 パっと見R&Bなんだけど、凄く「和」の感じなんですよね。
――しかも、無意味にキラキラしすぎというか。そんな中、君のキラキラしてない声はいいじゃないですかぁ。
 あははは。私、やる気がないように見えちゃうんですって。亀田さんは「それがよかった」って(苦笑)。「やる気なくないんですけど、あんまり人の前に出たくないです、自信もないです正直言って」と言ったら、「自分大好き♥の曲、聴きたくないもん」――あ、そう思う人もいるんだと思って。
――私も同意見ですねぇ。
 「頑張る」ということに、自分の中で違和感があって(笑)。
――その感じが声にも出てます。
 あははは!
――元気で悩みのない、能天気な人の歌を聴いてもしょうがないし。
 それは絶対あります!(苦笑)。例えば凄く素敵な恋愛をしてて幸せだったら、たぶん音楽聴きませんもん。要らないんですよ。
――うん。でもその幸せが終焉を迎え始めると、人は急に音楽に頼るという。作る方も聴く方も。
 本当そうですよ。男は裏切っても、音楽は裏切らない。
――27歳でそこまで言うなぁ。
 あははは。年齢とか関係なく、音楽は自分らしくいられるものなんで、頼ってますよね、それはね。
――すると今度は攻守交替して、自分の音楽が人から頼られたいでしょ。
 やるからにはやっぱり、より多くの人が愉しんでくれた方が幸せですよね?
――昨今のヴォーカルにありがちな「押しつけがましい生命力」とは真逆だからこそ、聴いて安心感があるんじゃないかと。
 それはあるかもしれないですね(苦笑)。そういうこだわりや執着があまりないので、相手も楽かもしれないですね。音楽は強要するもんではなくて、もっと自由でいいんですよ。だから自分の歌も強制して聴いてほしくないし――それじゃ意味がない。本当にその人が心から共鳴したり感動したりしないのなら、聴いてもらわない方がいいっていうか(微笑)。自分もそうだから。
――やはり「リスナーとしての自分」がまず立脚点としてあるから、パフォーマー・サイドに立った時に紡ぐ作品にもそれが表れますねぇ。
 私はリスナーの立場でもいたいんで(嬉笑)。その狭間にいるから、私は完璧なアーティストではないかもしれないです。
――そのままであり続けてほしいですね。
 不器用というか、想いだけが突っ走っちゃうから大丈夫だと思います(笑)。

For you 『共生』

諍いや哀しみにまみれるニュースの終わりに、もしもこの唄が聴こえてきたら…
幸せや安らぎに身をゆだねる時、もしもこの唄が聴こえてきたら…

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